(注)ショッピングモールへの陸橋が掛かる前の風景です。

伊丹市立博物館「新・伊丹史話」P146 (有岡城の総構 輪郭線と砦)より模写 14世紀ごろから、およそ300年にわたり伊丹氏が、猪名川の西岸に築いた伊丹城に居住しました。
 戦国時代、天正2年(1574)伊丹氏が滅び、そのあと伊丹城に入ったのは、織田信長の武将荒木村重で、伊丹城は有岡城と改称されました。
 村重が築城した有岡城は、城下町を城郭の中に取り込んだ惣構えと言われる築城法でした。

 天正7年(1579)荒木村重謀反により、織田軍に攻められ有岡城は落城しました。
 天正8年(1580)池田之(元)助が城主となったが、天正11年(1583)美濃に転封されることにより、以降は廃城となりました。

 明治26年(1893)に鉄道(川辺馬車鉄道、後にJR宝塚線=福知山線)が開通し、城郭の中心部が切り裂かれ、東側台地が削られてしまいました。
 複線電化に伴うJR伊丹駅前整備計画により、昭和50年(1975)から有岡城跡の発掘調査が行われました。

 昭和54年(1979)12月に国史跡の指定を受け、城跡西北の土塁、石垣、建物跡などを中心に史跡公園として整備されました。
 石垣は、現在残っている戦国時代のものとして最古と言われています。
 庭園跡は、現在のフランドルの鐘(カリヨン)がある辺りにあったそうです。


私のお薦めポイント


 発掘された石垣の一部には、自然石の野面積みに混じって、五輪塔などの台石が無造作に突っ込まれているのが、見えます。
 築城の際、慌ててかき集めたのか、当時の様子が垣間見えるようです。



-碑文より-

国指定史跡 有岡城跡

 昭和54年12月28日 指定

 伊丹氏がこの場所に城を築いたのは、鎌倉時代末期の頃のことである。はじめは居館として建てられたが、戦国時代を経て次第に堅固な構えになっていった。
 伊丹氏の城は、天正2(1574)年織田信長方の武将荒木村重の攻撃によって落城した。その後村重は信長の命により有岡城と改名し、壮大な城を築いた。
 有岡城は伊丹段丘の高低差を利用し、南北1.6キロメートル・東西800メートルに及ぶ惣構えが築かれ、要所には岸の砦・上臈塚砦・鵯塚砦が配置された。
 謀反を起した村重は、天正6年、信長勢の攻撃を受け、十ヶ月間の攻防の末、強固な城も遂に落城した。
 天正8年、池田之助が城主となるが、同11年美濃の国に転封を命じられ、廃城となった。
 明治26年、鉄道の開通によって、城跡の東側が削りとられたが、土塁や堀など今もよくその姿をとどめている。
 昭和50年より発掘調査が実施され、土塁・石垣・堀・建物・池等の遺構を検出し、中世城郭から近世城郭への移行期の様相が明らかになった。

 平成4年3月  伊丹市教育委員会


有岡城跡(1)

有岡城跡(2)

有岡城跡(3)

有岡城跡(4)

有岡城石垣(1)

有岡城石垣(2)

有岡城石垣(3)

井戸跡

土塁

土塁(反対側)

礎石建物跡

懐古園(1)

懐古園(2)

JR伊丹駅方向

JR伊丹駅

JR伊丹駅への道

エスカレータ

フランドルの鐘(カリヨン)

荒村寺(1)

荒村寺(2)

歌碑(荒木村重/あらきたし)

参考にした資料:
伊丹市立博物館「新・伊丹史話」
安達文昭著「伊丹ウオッチング」
安達文昭さん(郷土史研究家)にお聞きした話
など。

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