17 鬼貫句碑

伊丹2丁目、JR伊丹駅前すぐ


 昭和53年(1978)、鬼貫生家跡付近である旧市役所(現ネオイタミビル)の西側緑地帯(現JA兵庫伊丹支店)に建立。
 昭和60年(1985)、伊丹シティホテル建設に伴う周辺整備に伴って、現在地のJR伊丹駅前に移設されました。

「月花を我物顔の枕かな」


(顕彰句碑裏面の撰文より)
上島鬼貫翁は寛文元年(1661)四月四日伊丹に生まれた。名は宗邇。俳号は鬼貫の他に馬楽章羅々哩仏兄金花翁など多い。幼少から俊敏。はやく八歳で句作した。延宝八年二十歳で世上の俳譜を看破し俳道恵能録を著し伊丹を去て、大阪に隠れ俳医武の各道に励み貞享二年まことの外に俳譜なしと開悟。俳譜に精進して新伊丹風を樹立した。その間名誉ある祖先を追慕し武を以って身を立てんとした。俳譜はあくまで誠実率直である。世人は芭蕉を修得の上手鬼貫は生得の上手と称え賛仰した。享保三年勤めを辞して浪人生活をつづけたが、俳譜は天数の限りしらるる夕まで吟詠して止まなかった。ついに元文三年八月二日払暁大往生をとげた。行年七十八歳。作句はその数一千に垂んとし編著十五冊に及ぶ。秀吟佳句人口に膾灸し名声愈々高かった。門人をとることを潔しとしなかったため没後は谷間に匂う幽蘭の花のような存在であった。今茲翁の二百四十年忌を迎え郷党の市民挙げて各種記念行事を企画して追悼顕彰を行う。この建碑もその一環である。この句は翁のふるさと懐旧の情熱に充ちている。

         八十六翁 岡田私兵衛 撰文 
            昭和五十三年九月二日 

       鬼貫翁二四〇年祭実行委員会建之