19 墨染寺

中央6丁目3-3、バス停「伊丹シティホテル前」南へすぐ


開基は、天正年間(1573~91)で、華岳常盛居士菩提のために、以前あった小庵を復興したと伝えられている。
この頃、京都深草の地に秀吉の家臣大嶋久左衛門が領主としており、その領内に墨染薬師があった。久左衛門の一人娘が伊丹の本草学者(医師)に嫁いできたとき、その護身仏として尊像を持参し、この小庵にお祀りしたことから墨染寺というようになったと伝えられている。
宝永年間(1704~11)には、上島常音がお堂を再建し、大広寺(現池田市)十六世雲峯瑞大和尚を開山とした。釈迦牟尼如来像を安置し、曹洞宗のお寺になった。

平成7年(1995)、建物は全面的に改築された。
境内には、本堂、鍾楼門、観音堂、薬師堂、庫裏、納骨堂等の建物がある。

本尊は薬師如来坐像。薬師堂の薬師如来坐像は、鎌倉末期から南北朝期の作と考えられている。
観音堂には、三十三観音像が安置されている。

鬼貫の親子墓:
鬼貫(1661~738)は、油屋上島宗春の三男として伊丹に生まれた俳人。
大阪天王寺凰林寺に墓があるが、故郷墓である。

鬼貫の句碑:
「秋は物の 月夜烏は いつも鳴 おにつら」
この句碑には、弘化2年(1845)の銘文がある。




九層の石塔:
荒木村重の墓と伝えられている。
残欠を寄せ集めた塔で、笠の軒下に垂木形を造りだしたものとないものとの二種類が積まれている。
一番下の台石はもと十三重塔の基礎であったもので、一面に正和2年(1313)の記年銘がある。これは在銘遺品としては市内最古のものである。
この塔はもと鵯塚の上に建っていたものを近世後期に当寺に移したもので、基礎や塔身はその際に造られたものと考えられている。


女郎塚:
「天正7年(1579)12月23日落城」の文字が刻まれている。
有岡城落城のとき処刑された女性たちの供養のために建てられたとされているが、「上臈塚」砦が置かれていた記録があることから、これに因んだ石碑の可能性もある。