付1 猪名寺廃寺跡

尼崎市猪名寺1-31 猪名寺東洋リノリュームの南東すぐ



法隆寺様式の寺跡で、大きな礎石が堀出されています。
伊丹廃寺跡と共に奈良時代前期の仏教の隆盛さを示すものです。

リンク「摂津猪名寺廃寺






<説明プレートより>
伽藍配置は「法隆寺式」で、塔と金堂が東西に並び、これを中門からでる回廊が囲み、講堂がその北側に配されています。
塔心礎は円形凹状柱座をくりこみ、柱座とは別に同一石面上に舎利孔をもっています。また各基壇や周囲の階段は凝灰岩でつくられています。
出土した遺物の大半は瓦類で、白鳳時代~室町時代にわたっています。特に白鳳時代の軒瓦は、「川原寺式」と呼ばれているものです。
寺域全体については未調査のため詳しいことはわかりませんが、阪神間では最もよく旧状を残している廃寺跡です。
伽藍は天正6~7年(1577~)の荒木村重と織田信長の合戦の際に焼失したものと思われます。(尼崎市教育委員会)






猪名寺の名称の由来は、猪名野のお寺から来たと言う説があるとのこと。
ここには、古来より「法園寺(ほうおんじ)」というお寺が継承され現存している。
阪神淡路大震災で被害を受けたが、庫裏は自力再建され、なお復興途上にある。

法園寺
真言宗御室派、猪名野山と号す。法道上人開基と伝わる。行基が中興。ご本尊は、薬師如来像(秘仏)で、平安後期の鉈彫りの像とのこと。






同じ境内に「猪名野神社元宮」があり、伊丹の猪名野神社は、ここから延喜4年(904)に移されたものである。
元禄16年(1703)に始まった猪名野神社の神輿がここ元宮のお旅所まで巡幸するお渡りの行事は、人手不足を理由に昭和38年を最後に姿を消した。