33 鴻池稲荷

鴻池6-14、市バス停「鴻池」西5分



 江戸時代の豪商として知られる鴻池家発祥地とされるこの地に、鴻池家につながる懐徳堂の教授であった中井積徳(履軒)の撰文と筆に成る鴻池家の由来を記した銘文が刻まれている碑が建てられています。
 この碑は、中国の古代貨幣「布貫」の形をした砂岩製で、花崗岩製の亀趺(亀形台石)の上に立てられ、製作年は碑文によると天明4年(1784)から間もないころと考えられています。
 碑文によれば、鴻池家は酒造によって財をなし、慶長5年より200年も続いています。その初代は幸元で山中鹿之助の子孫であると言われています。鴻池家は、はじめて清酒諸白を製造し、江戸まで出荷しました。近隣の池田・伊丹・灘・西宮などでは鴻池家にあやかって酒造業を起こしたものが数百軒もありました。
 鴻池家の屋敷の後には大きな池があり、これを鴻池といいました。これは村の名前の由来であり、またその名前を大阪の店の屋号として用いました。
 鴻池家が酒造を始めた年、屋敷の裏に稲荷を祀って家内安全を願いました。そののち、幸元の子どもたちは、大阪で3家に分家し、そこからさらに9家が分家しました。大阪の鴻池家一族の富は莫大でありました。
 宝暦13年(1763)秋の大風で祠が壊れました。20年後、当主たちが集まって「先祖の恩徳を忘れてはいけない。再建する費用はわずかであるが、1人だけで費用を出せば他の人は祖先の恩徳は忘れてしまう。みんなでお金を出し合って建てよう。」ということになりました。天明4年に祠が復旧された時、その事情をすべて石に刻んで残そうということになり、伊丹鴻池本家7代目当主元長の子、元漸に依頼されて、中井積徳がこの文を作成したとあります。









95/1/17の阪神淡路大震災によって、被害を被りましたが修復されています。