27 臂岡天満宮(鋳物師)

伊丹市鋳物師1-104

伊丹市バス停「坂ノ下」西すぐ


臂岡(ひじおか)天満宮

御祭神
菅原道真公、応神天皇、外五柱


祭神の菅原道真公(845~903)は、平安時代中期の学者の家系に生まれた。政治家としても腕をふるい、右大臣にまで登り詰めたが、藤原氏の陰謀により突然九州に左遷された。
醍醐天皇の延喜元年(901)、公が左遷の道中、当地に立ち寄り臂を枕に休息されたので、以後、この岡を臂岡と呼ぶようになったという。
公はこの地を去るとき、「吾れ赦免となって生らば此の地を繁昌の霊地ととなすべし」との誓いを立てて、九州に下られたが、許されることなく、延喜3年(903)に59歳で築紫の安楽寺にて逝去された。
没後90年を経た一条天皇の正暦4年(993)になって赦免され、正一位太政大臣の官位が贈られた。
そのことを公の霊前に報告のため、筑紫に下った勅使が帰京の途中、生前公が聖地繁昌を誓われたことに因み、この地に社を建てて公の自画像を納めたのが当宮の起こりとされている。
当宮は、北村鋳物師にあるところから「いもじの天神」ともいう。


臂岡天満宮由緒
「橘御苑臂岡天神御縁記」

御祭神 正一位太政大臣 菅原道真

延喜年間の創建にて臂岡天神という
昌泰四年比菅蒸相(菅原道真公)筑紫に御下向の砌
此所に立寄らせ給い良霊寺たる霊地の絶えなむ事
を憚ませ「我赦免を蒙りなは此所を再び仏法繁昌
の霊地となすべし」と宣ひ言の葉に
  萬代の岡の松風 涼しさに
     誓ひをのこす 手枕のゆめ
と詠せさせ給ひしより此所を臂岡と申すなり
其後一條の院より正一位太政大臣の贈官あり勅使
筑紫よりの帰途感応ありて、この所に一宇を建立し
崇奉れと領主橘氏に御影(菅公自画像)下されしに
より一社を建立し橘御苑臂岡天神と崇奉る














臂岡ゑびす社
御祭神:天照皇大神、蛭子大神、大国主大神

三宝社(台所之守神) 火産日神、奥津彦神、奥津姫神



伝伊丹廃寺の礎石(1) 拝殿左の祠横伝伊丹廃寺の礎石(2) 拝殿左の祠台石



伝伊丹廃寺の礎石(3) 忠魂碑台石伝伊丹廃寺の礎石(4) 忠魂碑前の台石



伝伊丹廃寺の礎石(5) 拝殿前の手水鉢伝伊丹廃寺の礎石
(引用文献:地域研究「いたみ」第33号)



鳥居脇の狛犬


本殿の狛犬


臂岡ゑびす社の狛犬