旧岡田家酒蔵惣構え城郭と郷町

 14世紀ごろからおよそ300年にわたり、猪名川の西岸に築いた伊丹城に居住した伊丹氏が、戦国時代、天正2年(1574)に滅びました。
伊丹市立博物館「新・伊丹史話」P146 (有岡城の総構 輪郭線と砦)より模写 そのあと伊丹城に入ったのは、織田信長の武将 荒木村重で、伊丹城は「有岡城」と改称されました。
 村重が築城した有岡城は、城下町を城郭の中に取り込んで、東に主郭部分、北端には岸の砦、南端には鵯塚砦、西には上臈塚砦を配して、堀と土塁で囲んだ惣構えと言われる築城法でした。
 その後、惣構え築城法は安土城、大坂城でも見られるようになりましたが、村重の有岡城は、それに先んじており、最も古い惣構え城の一つと言われている。

 有岡城の主郭部分は、JR伊丹駅周辺にあり、土塁、石垣の一部が見られる。
 岸の砦(または野宮砦)は、猪名野神社にあり、境内の北の隅には、今も砦の土塁の跡が残っている。
 鵯塚砦は現在、伊丹7丁目の民家の敷地内に現存している。  上臈塚砦は、伊丹シティホテル辺りにあったと推測されている。

 天正7年(1579)有岡城が落城して以後は、廃城となり、江戸時代は「古城山」と呼ばれていました。
 この地はその後、豊臣氏の直轄領となり、つづいて徳川幕府の直轄領を経て、近衛家領となります。
 伊丹郷町は、掘割で囲まれた台地の上を中心に形成され、城塞の町から産業の町に変貌していきました。

伊丹市立博物館「新・伊丹史話」P153 (伊丹郷町の村と町)より模写
 伊丹郷町が江戸時代中期には、伊丹村、大広寺村、北少路村、昆陽口村、北中少路村、南中少路村、下市場村、上外崎村、外崎村、外城村、高畑村、円正寺村、新野田村、古野田村、植松村 で構成されていました。


 伊丹郷町は、有岡城が落城し焦土から立ち上がり、酒造業が、近衛家の奨励のもと一層発達し、江戸をはじめ諸国に送り出されていきました。
 酒造業にまつわる産業の職人の町としても賑わい、伊丹郷町は、元禄期に飛躍的発展をとげていきます。
 酒造家のもとには、全国から文人墨客がやってくるようになり、酒屋の旦那衆も俳諧をたしなむなどして、文化的香りの高い町としても発展してきました。


参考にした資料:
伊丹市立博物館「新・伊丹史話」
小西酒造「伊丹歴史探訪」
安達文昭著「伊丹ウオッチング」
安達文昭さん(郷土史研究家)にお聞きした話
など。

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