12 昆陽寺

崑崙山

高野山真言宗

伊丹市仏教会

伊丹市寺本2-169

伊丹市バス停「昆陽里」東約300m


聖武天皇の勅願所として、天平5年(733)に僧行基により畿内四十九院の一つとして建立されたと伝えられている。
往時は四町四面に七堂伽藍の備わった摂津第一の巨刹であったといわれ、現在の山門は第二門で、第一門は尼崎市の富松神社近くにあったといい、方五十町歩の土地を有したと伝えられている。
また、西国街道を通る交通の要所にあったため、布施屋を設けて人々を救済する社会福祉事業の拠点ともなった。
その後、天正7年(1579)織田信長が有岡城主荒木村重を攻略したときの兵乱時に、本寺および二十三坊は悉く灰燼に帰し、その跡に江戸時代に建てられたのが今のお寺で、二十三坊のうち宝持、勧請、正覚、一乗、遍照、成就の六院が復興しましたが、現在は正覚一乗遍照成就の四院だけとなった。
平成7年(1995)の阪神淡路大震災で被災し、現在は復興している。

山門:楼門。明暦年間(1655~58)の建立と伝えられている。
境内:本堂(薬師堂)、行基堂(開山堂)、観音堂。
鐘楼:寛永元年(1789)建立。
梵鐘:四代目。宝暦10年(1760)。昭和19年(1944)重要美術品に指定される。

本尊は半丈六の薬師如来像で、行基菩薩の作と伝えられている。脇侍は文殊菩薩像、普賢菩薩像、および持国天像、多聞天像が安置されている。

山門は昭和45~6年(1970~71)に解体修理され、平成7年(1995)の阪神淡路大震災でも被害を受けたが、復旧済みである。
山門と観音堂が、昭和43年(1968)に伊丹市指定有形文化財、昭和44年(1969)兵庫県指定有形文化財に指定されている。
広目天、増長天の二天立像は、10世紀後半から11世紀初め(平安時代)の京都を中心とする中央仏師の作と考えられている。平成10年(1998)兵庫県指定文化財に指定されている。

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