32 杜若寺

焼野

浄土宗

伊丹市仏教会

伊丹市東有岡5-127

伊丹市バス停「南本町四丁目」南東約300m


万治3年(1660)開基である。

俗に焼野という。
天正6年(1578)荒木摂津守村重が織田信長に叛旗を掲げ有岡城に立て籠もったので、信長は五万余騎の大軍で包囲したが中々勝敗は決しなかった。
そこで信長は、最後の手段として民家はもちろん神社仏閣をを焼き払う焼土戦術の挙に出たのであった。
この庵もこのとき灰燼に帰し、あたり一面広漠たる焼け野原と化してしまったので、後世この地を焼野と呼んだ。
ここの墓地は伊丹で一番古く、荒木氏一党のほか貴賤、宗旨、宗派を問わずお祀りされている。
またここは、江戸時代刑場でもあったという。

周辺には杜若(かきつばた)が咲き乱れて、その眺望は得も云われぬ美しさだったという。豊臣秀吉が天下統一後、この地を訪れたときみごとな杜若が満開するのを眺めてしばしこの庵に脚を止め、あまりの美しさに以後この庵を「杜若庵」と呼称するよう申し伝えて去ったので、このときから「杜若庵」と呼ぶようになった。
昭和44年(1969)西本尊方師が新住職を拝命晋山され、杜若庵を「杜若寺」と改名された。

境内には山門、本堂、墓地がある。
墓地には、頼山陽筆による「大塚鳩斎墓碑」と「梶曲阜の墓碑」がある。
南側の墓地の入り口には、「右尼崎・左大坂」の道標がある。

本尊は阿弥陀如来坐像で、脇侍として右に善導大師像、親鸞聖人像、達磨大師像、伝教大師像、左に法然上人像、弘法大師像、日蓮聖人像、道元禅師像、各宗派の仏像をお祀りしている。