
上島鬼貫

伊丹小学校南側
上島鬼貫(万治四年(1661)~元文三年(1738)は伊丹の有力な醸造家に生まれ、早くから俳諧に親しみました。
25歳で大坂に出て、筑後の三池藩などに経済担当として仕えました。
俳諧については、当時流行の伊丹風にあきたらず、「まことの外に俳諧なし」と主張。
東の芭蕉、西の鬼貫と並び称されています。
「鬼貫」は、「おにつら」と読み「キカン」ではありません。生涯貫いた俳号です。初めしばらくは「鬼つら」(きわめて稀に「ヲニ貫」)と書いたことがあるが、以後ずっと「鬼貫」、晩年には「おにつら」と称した。
当時は、まだ俳諧は和歌の下に見られており、和歌の貫之に対して俳諧の貫之を任じた意気の表れで、醜と鬼は同意義語で「鬼の貫之」を意味する「鬼貫」を使ったのではないかという説(岡田利兵衛)がある。![]()
各所に建立された鬼貫句碑
伊丹市内
その他の場所
参考にした資料:
安達文昭著「伊丹ウオッチング」
岡田利兵衛著作集IV「鬼貫の世界」
(財)柿衛文庫「柿衛清賞 第5集」
伊丹市立博物館「地域研究いたみ第9号 鬼貫追悼特集号」
伊丹市観光協会「いたみ未知標」
坪内稔典著「上島鬼貫」
櫻井武次郎著「上島鬼貫」




















